本物の霊的な教師 — 正直さと誠実さと
Authentic Spiritual Teachers — Forthright and Honest
本物の霊的な教師が自分の人生についてあなたに何かを話そうとしているときは、その物語に含まれている教訓やメッセージを探してみてください。
彼らは個人的な物語を長々と話し、あなたを退屈させたりしません。また、自分が成し遂げたことについて自慢したり、あなたの同情に訴えたり、自分がどれほど特別であるか、あなたの人生とどんなに違うかと話すことで、あなたを感動させるつもりもありません。
特に私の場合は、それとは正反対です。私があなたに示しているのは、私があなたとほとんど変わらず似たような人生を過ごしていること、そして困難な状況でも平和で幸せにいられるという私の能力があなたにも備わっているということなのです。
一部の教師は、自分は人とは違う特別な存在だと感じてほしい、と願っています。
そういった人々は、あなたが彼らの存在に畏敬の念を抱き、彼らが示す知恵と恩寵にあなたが目を奪われることを望んでいます。彼らは、あなたの意識のレベルは低いのに自分がどれほど別格なのかについて話すことによって、彼らとあなたとの間の違いの質を保とうとするのです。これは「真実」ではありません。これによって彼らはあなたを信者として繋ぎとめることができるかもしれませんが、それはアドヴァイタ(非二元性)の教えとは正反対です。
アドヴァイタは、根源的なひとつの意識のことです。この意識は、千差万別な形でこの世界に現れています。
アドヴァイタの教えでは、「あなた」と「私」は同じ幹の別々の部分です。
ですから、見た目や考え方、行動が異なっていても、本質は同じなのです。ミュージシャン、建設作業員、会社員はそれぞれ異なる方法で優れている存在ですが、一人一人の根幹にあるのは、違いよりも共通性です。私たちは皆、愛を望み、愛を伝え、愛を分かち合うことができます。また、真実のレベルでは、私たちは存在そのものが純粋な愛でもあるのです。執着心の強い介護者や犯罪者はどちらもゆがんだ愛の形であり、愛とは完全にかけ離れてしまっています。どちらも愛の完全な形とは言えないのです。敬虔なジハード主義者は愛の名のもとに人を殺し、自殺者は愛を渇望する最後の嘆きとして自らを殺します。誰かを手に入れたい、支配したいと本当に望むときでも、私たちは「愛している」と言うかもしれません。しかし、このような例はすべて、私たちの真我である「無条件の愛」という資質を欠いています。私たちは、無条件の愛を肉体を通して経験し表現するために生まれてきたのです。
私の師であるパパジは、無条件の愛のお手本でした。
彼は決して、自己を顕示しようとしたり、感情を振りかざそうとしたりはしませんでした。実際のところ彼は非常に単刀直入な人だったので、サットサンで人々を戸惑わせることもありました。しかし、彼は真我からのメッセージを伝え、独特の方法で人々の覚醒を引き起こしました。教え子たちは結果として、自分自身の内にある愛を発見しました。彼は率直で、自分や他の人の時間を無駄にすることがありませんでした。
教師たちは皆、それぞれの方法で恩寵を伝えます。
彼らは、教え子が自分をどう考えているのかということに関心を払いません。
彼らは、あなたの注目や崇拝を得ようとして争っているのではありません。そうではなく、本当のあなたを、そしてあなたが彼らと同じであるということを、あなた自身に見出してほしいと望んでいます。本物の教師は、自分自身と自分の人生の課題について正直でいようとします。そうすることによって、あるがままのあなたについて、そしてあなたが肉体を通してできることについて、はっきりとした具体的な例を与えるのです。