awakening coach Arunaのブログ

アルーナが英語で書いたブログの日本語訳です

自由になって生きる

目覚め(アウェイクニング)の瞬間以後、私が人間として生きるなかではじめに目の当たりにした変化があります。それは、心と体の動きを観察者の視座から捉えられるようになったことです。「これは私の体。これは私の体の思考」「この行為の行為者はこの私」といった自分の定義漬けをしなくなりました。私の体はただの「この体」になり、思考はただの「体の思考」になりました。もはや「私」は「第三者」の中で知覚するようになり、観察されるものに対して一切の個人的思い入れを持たない目撃者によって見られるものにな利ました。こういった幻想から瞬時に解放される体験は素晴らしいものでした。やって来ては去っていく思考は、体の過去や未来ついてのものであって、体のいま現在についてのものではないのだと気づいたからです。こういった思考を観察する目覚めた意識(アウェアネス)には決めつけがなく、精神作用をただ語るのみでした。この状況ではいつもの「私」は存在せず、「私」という自己認識は消えてしまっていたのです。

 

私の目覚め(アウェイクニング)の瞬間は奇妙な展開で、それ以前のどの瞬間にも似つかないものでした。この体があり、この体には思考があり、その思考が紐づいているのはアルーナという人格にであって、それを動かしている無限の意識にではありませんでした。以前との違いは、もう思い出すこともできないくらいの少し手前の段階で、あの強固な「個人の私」という意識が消えてしまったことです。

 

師パパジは助言をくださり、私の目覚め(アウェイクニング)のきっかけとなったこの方のお蔭で、生きていく上で欠かせない新たな日課が始まりました。師は「静かになりなさい!」とおっしゃいました。「あらわれたての目撃者」は、どこからともなく出てきてどこともなく帰っていく思考を観察していました。そして思考が新たに流れ出すたび虚構の思考者に問いかけると、決まって自己探究の問いかけにたどり着くのでした。ほとんどの場合、元々そこにあった思考は止み、頭にはぽっかり間(ま)だけが残りました。この間(ま)では、いつも大手を振るっている一方的な脳内会話から束の間逃れることができました。この穏やかな場に思考はなく、これまでとは違ったエネルギーと生命力が満ちていました。これは何だったのでしょうか。このときこの体には誰が、あるいは何が存在していたのでしょうか。

 

とはいえ結局は、使い古された反応がまた戻ってきていっぱいになっていきました。もう自由になったというのに、なぜこの体の振る舞いは目覚め(アウェイクニング)以前に逆戻りしようとしていたのでしょうか。自由になりたての観察者が気づいたのは、古いプログラミングが絶え間なく押し寄せていたからである、ということです。この体の記憶貯蔵庫には、どれだけのプログラミングがまだ残っているのか。そのプログラミングは、どうすれば顕在意識下で捉え、また削除できるのか。ある日この疑問に答えてくれる鍵が現れました。エニアグラムによる性格分類です。

 

このよくできたツールは、こうして私が「目覚め(アウェイクニング)を深める」と呼ぶ必須手順をこなす上で意識的に扱うものになりました。潜在的で自動的なプログラミングからくる困難を体験するとき、そしてそれに気づくとき、エニアグラムがどれだけありがたいツールなのか分かってくるでしょう。目覚めた意識が展開していくのは、あなたがその意識を育て、その意識のための余裕を持てるようになったときなのです。