awakening coach Arunaのブログ

アルーナが英語で書いたブログの日本語訳です

Stillness-静けさと目覚めた意識について

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nothing happened at all

"Stillness-静けさ"は、目覚めた人を表すのにしばしば使われる言葉です。静けさとは、ベッドとかソファーで横になっている時間が長くて、めったに身体も動かさないという意味なのでしょうか。あるいは瞑想している時間が長いということなのでしょうか。目覚めた意識で生きている中でこうしたふるまいを見せる人たちもいるかもしれませんが、静けさ の核心を表すには的外れなものです。

目覚めた人の” Stillness-静けさ”とは、肉体的な動きや何らかの特別な努力とは無関係です。むしろそれは精神的な在り方や 反応の質なのです。人として経験することに反応したり考えたりすることなく、単に見るという能力のことなのです。つまり、身体の周りで何が起きていようと内面が静かな状態、言い換えれば、真実の自己、真我として生きている状態と言ってもいいでしょう。

 

内的な静けさの中で存在するという生き方が、目覚めた瞬間にすぐにできるのかというと、そういうわけにはいきません。私の体験ですが、すぐさまエゴのマインドが活発になりました。私の肉体としての経験を長年コントロールしてきたエゴですから、慣れ親しんだコントロールを失うのを恐れ、騒がしくなったのです。「静かなマインド」を追い求めていたはずの私でしたが、いつも以上にたくさんの思考が湧き上がって来ました。静かなマインドは” Stillness-静けさ”への入口です。静かなマインドになど決してさせまいとして、エゴがどのぐらい必死になるか、ひとつの例を紹介しましょう。

これも私の体験ですが、高校でも大学でも、私にはテスト勉強をする習慣がありませんでした。なぜかというと、私は視覚的に記憶するタイプだったので、答えとなる本の章やページ全体を視覚的に記憶することができたのです。しかし、その素晴らしい能力も、自動車事故をきっかけに失われてしまいました。その事故で、私は身体ごとバックミラーに突っ込んでしまい、前歯を折り、額にも深い傷を負いました。しかしながら、私の視覚的記憶の能力消滅したことはそれ以上の大きな損失となりました。

 

目覚めの数日後、かつての視覚的記憶力が消えて30年以上たっていたにも関わらず、私のエゴが私に使うようにと再びイメージを提供し始めたのです。それはたまたまラマナ・マハルシ のイメージで、多くの人たちがそのことについて“素晴らしい”と賞賛してくれるような出来事でした。しかし、こうしたことも” Stillness-静けさ”の妨げ にほかなりませんでした。目覚めの前に体験していた「至福の素晴らしい感覚」でさえも、静寂を妨げるものだったのです。そうなんです。私が言っているのは、どんな思考 や感情も、善悪に関係なく、不快なことも、楽しいことも、ネガティブなものでも、どうでもよいことでも、それらが起きるがまま、来るがまま、そして去っていくがままにしましょう、という事です。なぜなら何であろうとそれに執着していると、それが” Stillness-静けさ”を邪魔することになるからです。

 

そんなわけで私は、 ”自分に問いかけること―真我探求”を使ってすぐに静かなマインドに戻るということを自分に課しています。何をしているかというと、常にエゴに対して「エゴが提供しようとしている思考に興味を持つ”私”はいませんよ」と通告しています。真我探求が今ではすっかり私の日常生活の一部になっています。思考が現れたなと思ったら、いつでもこの真我探求をします 。これは どんな思考や想念が湧き上がっても、それらを自然に解消するツールです。湧き上がってくる思考が徐々に少なくなるに従い、思考と思考の間のスペースが大きくなっていき、最終的には思考が全て止まっていることに気づきました 。
どうやってそれがわかったのでしょう か?ある出来事によってわかったのです。それは2011年、日本に戻ってくるちょっと前、ウルグアイ で起きました。

 

シャワールームのドアを閉めたときのことです。ドアのパネル枠にガラスがぴったりはまっていなかったのでしょう。突然ガラスが割れ、破片が飛び散りました。ガラスの大部分は枠に残っていましたが、飛び散った破片の一部が私の片方の前腕、両手の甲、両足の甲に突き刺さり、ほんのわずかですが、お腹にもいくつか切り傷がありました。夫のジャコモ が音を聞きつけ、すぐにやって来て素早くタオルを床に敷き、私がガラスの破片を踏まないようにしてくれました。

床にはガラスの破片が散らばり、私は 血まみれでした。止血の救急処置をしてもらいながら、私は病院に運ばれました。周りは大騒ぎだったのですが、その間、なぜか私にはなんの思考も感情的な反応もなかったのです。病院に運ばれる前も、運ばれる間も、傷口を縫ってもらった後でさえも、です。覚えているのは静けさだけ、その静けさの中にいる自分の存在だけでした。あらゆることがただ現れ展開しているのを目撃していただけでした。

 

2021年の今、何かが起きても、それに対するリアクション・反応として、特別な思考や感情が湧き上がることはめったにありません。こころも身体も一貫して平和で静かです。起きたこと、あるいは今起きつつあることに対して心配している人が「誰も」いないかのようなのです。ひょっとしたら、パパジがよくおっしゃっていた「つまるところ、何も起きてはいなかった 」ということなのかもしれません。なんであろうと目に見えるものはやってきては、去っていくものです。それが起きたその瞬間にちょっと気づくだけです。すべては” Stillness-静けさ”に帰すのです 。

 

” Stillness-静けさ”の中で生きることに心惹かれる方に、適切でしかも効果的なテクニックとツールを私は提供できると考えています。必要なのは、” Stillness-静けさ”をあなたのゴールにすることと、揺るぎなく責任を持って深く関わることです。

早速始めたい方はどうぞ連絡をください。

 

 愛を込めて

アルーナ

https://www.facebook.com/arunanow