awakening coach Arunaのブログ

アルーナが英語で書いたブログの日本語訳です

あなたは悟っていますか?

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灯台

「幻想だとわかっているのなら、あなたは悟っています。ですが、もし自分は悟っていると思うのであれば、あなたは幻想の中にいます」。

   _______H.W.I. プンジャ(別名パパジ)

 

いろいろなオンラインでの集まりで、私は悟った、と言う人をしばしば目にします。そうした場面を見るたびに、私の生徒さんたちは誰もそんなことを言わないようにと、願わずにはいられません。自分は悟ったなどと公言すること自体、無知を宣言しているようなものです。

 

誰しも、自分が完全に空っぽになっているかどうか、またいつ空っぽになるのかわかりません。そして、その空っぽの状態こそが、『悟った』ことを最も根源的に表しているのです。

 

無意識に実行されるプログラムがすべて削除されていますか?あるいは、人生がもたらす様々な出来事に対し、いまだにネガティブな態度で反応するのでしょうか?

これまでに起きた出来事の原因や結果に、まだこだわっていますか?あるいは、真我が新しい道を指し示してくれたら、すんなりと進行方向を変えて進むことができるのでしょうか?

物理的・身体的に不快・不愉快な状況にあってもOKが出せる、そんな成長段階に私たちはいるのでしょうか?

 

自分は悟ったと考えているとして、テレビのニュースキャスターが聞きたくもないニュースを伝え始めたとたんに暴言が口をついて出始めたなら、まだ悟っていないことを表しています。

誰かが言っていることに同意できず、自分の見解をどうしても聴いてもらわなければならないとこだわっていることが、エゴの視点から生まれた二元性という幻想を観る、また別の機会となります。なんらかの特定の結果に力を注ぎ込んでいるならば、これは明らかに悟りの状態ではありません。

 

私はかつて、ある聡明なラビ(ユダヤ教の宗教的指導者)と、インド人の女性グルの対談に参加したことがありました。ラビの発言は非常に明瞭で、博識であることは一目瞭然、しかも、話す時はずっと謙虚でした。一方、彼女は一見腰は低いのですが、ラビの言うことに対しいちいち反駁し、彼よりも上に立とうとしているように見えました。競争的な態度は見るからに傲慢で、どんなに美しいサリーをまとっていても、一見チャーミングに見えたとしても、彼女自身が悟ったと主張するほどには、悟ってはいないことは明らかでした。

 

真実のセルフ、真我は謙虚です。物事を受け入れ、親切で、静かです。他の人を貶めることで、自分をよく見せようとすることがありません。

 

インターネット上で自分の悟りをひけらかしている人たちの中にも、悟りとはかけ離れた言動をしている人たちもいます。興味をそそられ、そういった人たちがスピリチュアリティのさまざまな側面について、自分の見解の正当性を証明しようとする溢れるほどのテキストを追跡調査したことがあります。そこでの印象は、彼らは承認を求め、注目を求め、他の人への反駁、批判が多く、自分は特別であることを強調し、特別に扱われることがふさわしいと思っているように感じられました。覚醒は、こうした態度を生み出すことはありません。尊大なエゴだけがこうした態度を悟りと解釈します。

 

覚醒とは、実際には普通であることに気づくことです。つまり、私たちはみな似ていて、核心では全く同じであると気づくことです。悟りはなにかに到達することは違いますし、他の人たちに一目置いてもらうためのトロフィーでもありません。

悟りは覚醒と同じではありません。自分が本当は誰なのか、何なのかに気づくことが覚醒です。空という悟りに必要な手放すという段階の始まりを、覚醒と呼びます。覚醒の瞬間に明らかになった気づきがあり、その気づきにそぐわない信念、態度、反応が排出・除去されること、このプロセスのことを私は「覚醒のディープニング、覚醒の深化」と呼んでいます。

 

このディープニングは時間の経過とともに起きるものです。一生続くかもしれません。私たちが自分自身を観察し、人生がもたらすものに対して、愛情のない考え、感情、行動で反応するのをやめるにつれて、深化は発展し続けます。ことあるごとに、自分だけでなく、すべての人に最高の利益をもたらさないものを手放すという選択をするたびに、私たちはエゴの道を排除し、私たちの愛する真の性質(私たちの真我)が完全に存在することを可能にします。

私たちの真我(幻想がすべて取り除かれた後に残るもの)は、判断しません。批判したり、比較したりしません。常に、そしてどんな状況であっても、純粋で無条件の愛と真実をもたらすだけです。真我とは私たちの悟った部分の性質であり、愛と光の意識なのです。

 

人類は、なぜいまだに戦争をするのでしょう。それは覚醒した人の数がまだまだ十分ではないからです。あなたは、あたらしい道を切り開くことができます。覚醒し、そして他の人が覚醒するのを手助けすることができます。そして、私はあなたがそうできるよう手助けするためにここにいます。